コンポストで考える教育の重要性

生ごみを、「燃やさない」という選択肢がある——。
当たり前のように生ごみを可燃ごみとして出す多くの日本人に、少しでもなにかしらの「気づき」になればとの思いで、都心でも少しずつ普及し始めている「コンポスト」を紹介する記事をオルタナYahoo!ニュースを通して配信しました。「コンポスト」とは、生ごみや、落ち葉、下水汚泥などの有機物を、微生物の力を借りて「堆肥」にすること、あるいはその容器のことを指します。

日本では生ごみを「燃やす」のが一般的ですが、例えば広大な米国では「埋め立てる」のが一般的。燃やせば、そこには二酸化炭素が排出されますから、一見、埋め立ての方が温暖化抑止には良さそうな気もします。しかし実際は、そのまま埋めた生ごみからは、二酸化炭素の28倍もの温室効果があるメタンガスが発生することも記事の中でご紹介しました。そう考えると、フードロスを出している国にとっては、「燃やす」でも「埋め立てる」でもない「コンポスト」が一つの共通のソリューションになるように思います。

米国では、カリフォルニア州が2022年4月に、生ごみの堆肥化を義務付ける法律を施行しました。シアトル、オースティン、ポートランド、ボルダー、デンバー、ニューヨーク・シティなどの大都市でも、市全体でコンポスト化に向けたプログラムを開始したり義務付ける方向での動きが見られます。そう聞くと、米国は日本よりも早く地球の将来に向けて前進しているような印象を持つのですが、先日「やっぱりそう簡単ではないんだ…」と感じさせる報道を目にしました。デンバー市のあるコロラド州で、コンポストの回収業者が市民のマナーの悪さを理由に回収を断固拒否しているというのです。

この記事を読んだときに私はふと、米国人男性と結婚した友人が「夫が、子どもたちを絶対に日本の小学校に通わせたいと言う」と話していたのを思い出しました。日本の小学校では当たり前の「教室のお掃除」や「給食当番」の習慣を子どもたちにも身につけさせたい、というのがその理由でした。米国では学校にお掃除のスタッフがいる。だから子どもたちは、自ら使った教室を掃除したりしない。それではダメだ、と。

ゴミの分別と同じように、微生物による分解で堆肥化をする「コンポスト」の中には、当然、入れて良いものといけないものがあります。それにもかかわらず、コロラドの回収業者が回収したものの中には、欠けたガラス瓶や履けなくなった靴なども混ざっていました。自分の使った教室を掃除するように、自分たちが出すゴミにも目を向けていく。一人ひとりが毎日、ほんの数秒、そうした意識を持てるかどうかが、結構大きな違いを生み出すように思います。

コロラドの事例を引き合いに、日本人はマナーが良いと言いたいのではありません。お笑い芸人兼ごみ清掃員をされているマシンガンズ滝沢さんの著書『このゴミは収集できません』などを読むと、私自身もハッとさせられる部分、反省する部分が多く、たくさんの学びがあります。(ちなみに、さすがお笑い芸人さん! 著書や漫画はどれもおもしろく子どもたちも愛読しています。)

ゴミについては、分別方法が自治体によって異なることはよく知られています。その一方で、子どもの時に教わった分別方法が永遠に正しいわけではないことはあまり知られていません。技術の進歩とともにゴミの出し方も変わる。生ごみのコンポストも、いつかその一例になって、もっと広く普及すると良いなと思います。

先のコロラドの記事には「educate the public(大衆への教育)」が必要との記載がありました。そして、大衆の心には、堅苦しい「べき論」より、笑いのエッセンスが詰まったお話の方が断然響く! 「教育」っていろいろな意味で大事だなぁと思う今日この頃です。

(佳)